「集団」のパラダイムシフト – その1

最近つとに思うのが、実は日本人の強さは「個」の強さなんじゃないか?という逆説である。これは、日本のマスコミ、ビジネス書、組織や社会心理学系について書かれた本とはおよそ間逆のスタンスというのはわかってる。彼らは「平均点を取れる『集団の厚さと質』こそ日本の強さ・・・だったけど、今はその弊害ばかり目だって・・」という感じに自分には見て取れる。

だからといって、USスタイルの個人主義、実力主義に盲目的に突っ走れば、企業も社会もギスギスする。(実際にそうなってるように見える)当然だ。USと日本ではそもそも社会の前提が違う。USは集団(企業、学校、教会、その他Community)との「契約」が前提なのに対し、日本は集団への「所属」が前提。(契約よりももっとゆるいつながりと考えていいと思う。)

もう少し補足すると、「契約の関係性(契約主と契約者の間)」はガッチガチだが、「契約者間」はむしろ希薄で、興味なし、関係なし、自分優先、仲良くなりたければ勝手にどうぞ。

一方「所属の関係性」は所属元と所属者、および所属者間が最初から濃密。なので、誰かが何かをすれば、ほかの人が気にする、噂する、(下手すれば)邪魔をする。でも良い方向に働けば「一致団結」の強さがでる。

なので、USでやってることをそのまま持ち込んだっておおむね失敗するだろう。

ここ最近日系メーカーの業績が軒並み赤字で、日の丸半導体の先鋒だったエルピーダメモリーが破綻した。もちろんその理由は諸説あれど、自分には上記の人と社会の関係性が真相なんじゃないかと考えている。勘違いしないでほしいのだが、それは一概に契約社会を礼賛しているわけではないし、するつもりもない。

日本人の強さってこんなんだっけ?という疑問に向き合ったことありますか?ということが言いたいのだ。その問いは自虐に進むのではなく、建設的な方向に答えを紐解いていくという意味での問いだ。

その強さ、ちゃんと生かせてないからうまくいってないんじゃないの?というのが今の自分の問題意識なのであり、その答えが人と社会の関係性にあるのではないかと考えているのだ。

(続く)